やさしい心、生きている喜び、感謝の気持ち、幸せを感じて
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おとうさん

Author:おとうさん
娘が小学校3年、8歳のとき頭蓋咽頭腫という脳腫瘍を発症しました。
そこから懸命にお医者さんを探し、入院し2回の手術を乗り越えて今に至っています。

娘のがんばりは自分のためだけではなく、これから同じ病気で闘う子供たちのためになると思い
ここに記録を残します。

脳腫瘍、頭蓋咽頭腫でここに来た方には何らかの参考になれば幸いです。

また、そうでない人たちには生きていることの幸せや喜びを、
改めて考えるきっかけになってくれればいいなと思います。

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2008年3月31日(月)

手術後5日目

20080331ohyama.jpg


今日は病棟に戻りました。今回入院した時の病室は他の人が入室していたので、他の病室になりました。

そこは、最初に入院した時のベッドの位置でした。

すこし元気がないような覇気がないようなそんな感じでした。

脳神経外科のM先生が来て眼のテストをしました。少し外側も見えている様子でした。

また貧血のため輸血をしたとのこと。

ご飯もだいぶ残してしまいました(夕食)

(娘)

おなかがすきました。
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2008年3月30日(日)

手術後4日目

今日はおしっこはそれほどでもなく普通だったようでした。

あまり多くは食べられないものの、お腹は空くらしい。

退屈でちょっとつまらないようだ。

明日には病棟に戻れるかもしれないとのことでした。

(娘)

お水がのめるようになりました。うれしかったです。
2008年3月29日(土)

手術後3日目

今日は朝からはっきりとしていたらしい。

また抗利尿ホルモンを鼻から入れることにしました。

お腹が空いてすこし不機嫌だったようです。

18時の初めての食事は、おかゆ、スープ、お茶、マーボードウフ、菜っ葉のおひたしが出ました。

マーボードウフ以外は全部食べて満足そうでした。

夜にはおしっこがたくさん出たようでした。また頭から血漿を抜いているチューブが外されれました。

(娘)

ごはんがおいしかったです。
2008年3月28日(金)

手術後2日目

妻は朝8時から病院へ行っていました。

先生が回診に来るも、あまり意識ははっきりとはしていなかったようでした。

呼びかけには応え、足を伸ばしてといわれると出来る。

今日は頭が痛いため鎮痛薬を投与してもらう。

吐き気もそれまでは有ったようだが、おさまって、うつらうつら眠ってしまうことが多い。

脳神経外科のT先生がみえて「あれだけの手術を行ったので、脳も腫れ気味になり痛いのが普通です」とのことでした。

また、縫った痕が重なっているところがあるので、抜糸はすこしかかるとのこと。両目にかかって腫れてきているのですこし重い感じがするとのことでした。

全体的な状態としては安定している方ですといわれました。

自分は仕事の後に19時頃病院へ行ったので、すこしだけ顔を見て声をかけてすぐに帰ってきました。

眠っていることが多いので(鎮痛剤の効果もあるのか)大きな手術の後だったから、すこしは体も休まっているのかもしれない。

(娘)

ICUでがんばりました。
2008年3月27日(木)

5時45分に家を出る。妻を駅で降ろし駐車場に入れようとしたら小雨が降ってきたので、そのまま車で病院へ行きました。(遅くなっても良いようにということもあったけど)

病棟にはパジャマの娘がいました。わりと落ち着いていたけど、いつもより少し小さく見えた。

一緒に手術室に入るマーちゃんていうティディベアを抱いている。

8時15分にいつものエクセグランと麻酔の準備薬を飲んだ。

しばらくして点滴を入れる。そして9時15分に病棟を出ました。

今回も前回と同じくスタッフ用のエレベーターで手術室の前まで行きました。

看護士さんにベッドを押され手術室に入っていきました。

17時に呼ばれて、執刀していただいたF先生、M先生と面会しました。

F先生は「脳外科の中でも最高に難しい手術ですが、最高の手術でした」といっていただきました。

「残すと再手術、放射線治療を繰り返すことになり、どうしても寿命が短くなってしまうとの理由で、今回は少し無理をしてほとんど取りました。太く大きい動脈があるのでギリギリのところまで取ってあります、粟粒くらいの点で残っているところはありますが、薄皮一枚のところまでほとんど取りました」と言っていただきました。

「そしてこれからは、術中におしっこも出てきたとおり、後遺症との戦いになります。尿崩症でナトリウムバランスが崩れると意識障害や命にかかわることになるので、このバランスを取ることが大切です。

そしてホルモンが出ないのですが、これは薬で補充することが出来るのでホルモン治療をしていくこととなります。これは一生続けていくことになります。

成長ホルモンや性腺刺激ホルモンも出ないので、将来この治療もすることになります。

これからは小児科のスタッフとこれを行っていくことになります。

そして、入院も6週間くらい、1年間くらいの期間で回復するように治療していきます」とのことでした。

そう説明していただいて、部屋を出ました。

しばらくして19時30分頃、ICUに入りました。

今回はまだ意識が混濁しているようでした。

そして気持ちが悪いらしく、すでに何回か嘔吐している。

尿をコントロールしているホルモンも点滴と一緒に投与しているらしく、比較的状態は安定しているらしかった。

しかし意識は虚ろで目を開けたまま眠っているようでした。

M先生が呼びかけると反応はしましたが、すぐに眠ったような状態になってしまいます。

M先生は「大きな脳の手術の後の状態としては普通の状態です」と言われました。

とちゅう小児科のM先生も診にきてくれて励ましてくれたりしました。

内心、大丈夫かなと不安がありましたが、心配だけど今は任せるしかないのだと自分に言いきかせました。

まだこれからがあるので、21時に先生と看護士さんに任せて病院を後にしました。
2008年3月26日(水)

10時30分ごろ家を出ました。

12時頃5階のレストランへ行き食事をとりました。

12時30分小児科で入院のための検査と問診をしました。

その後入退院センターへ行き、前回入院した時と同じ病棟に行きました。

前回同室だったSちゃんたちに前もって入院するよって言っておいたので、看護士さんたちによ~くお願いしておいてくれたんだって。

そのようなこともあってか部屋も同じ部屋で、同室だったお友達も2人いました。

この2人は血液の病気と闘っているお友達です。

一人は娘と同じ時期に退院しました(2007年11月はじめ)が、具合が思わしくなく再入院していたのでした。

そのようなことでかなりリラックスして病室で過ごしていました。

夕方、手術の時に太ももにモニタリングのため電極を当てるとのことで、シャワーを浴びて太ももをちょっと剃りました。

今日は点滴なしということで、機嫌も良かったです。

そして、夕食後に麻酔科の担当の先生が、19時頃には脳神経外科のM先生が、続いて小児科のH先生がやってきました。

その後、大丈夫だからって言うので妻と二人で病院を後にしました。

夜、同室のみんなに手術がんばれって色紙をもらったんだって。
2008年3月5日(水)

今日は手術前最後の小児科外来です。

採血検尿の結果は良好。ちょっと鼻水が出るので鼻炎の薬を処方してもらいました。

さあ、次はいよいよ入院、手術です...
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